言霊マジカル第一話

k21c先生の作品「アウトサイダーに告ぐ」コリンウィルソンのアウトサイダーの概念を引き継ぐことを試みる評論です。

アウトサイダーに告ぐ

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作者:k21cノンフィクション


第一部

タイムズゼイアーチェンジン

コリン・ウィルソンの作品「アウトサイダー」では、架空実在を問わず数多くの人物が登場する。彼はその作品内で次々とその登場人物たちを論じ、誰ならば彼の言う「アウトサイダーの問題」を解決しうるかということを問うていくのだが、最終的によくわからない「意識の内部での実践、幸福感を感じる(彼は『ヴィジョンを観る』と表現している)修行」を提示して逃げ終わる。後の作品で彼はさらに、様々な科学やオカルトの範囲を網羅してこの「修行」へ彼独自のオプティミズムな味付けをしながら考察していくのだが、後を追ってゆくのはますます億劫になると言わざるを得ない。彼が作中にドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟次兄イワン・カラマーゾフを登場させる部分で、彼は「子供に強い忍耐を要求する」やり方は「アウトサイダーの問題」を解決するにおいて間違っていると書いておきながら、彼の「修行」はまさしく修行ということにつきものの強い忍耐を要求しているのである。

 彼の思想の構築過程のどこに失敗があったのか。そのことを判定するには、まずは彼の踏破した行程を再度辿ってみるほかはあるまい。だがここではっきりさせておかねばならぬが、彼の失敗の発生点を発見するだけなら、先の文へ記した通り解決は「修行」にあるのではないと指摘するだけで十分である。私が彼の道を辿る真の意義はそうではなく、彼は中途までは失敗してはいなかったということにある。私が最終的に逢着したいのは「アウトサイダーの問題」の解決であり、彼の行程を中途まで辿ることは近道になるのみならず、私を彼の陥った「修行」以外の失敗からも救うかもしれぬからである。

 ウィルソンの道を歩み始めるにあたって、記念すべき初登場はやはり彼の著作と同じくあの人物に飾っていただこう。フランスの作家アンリ・バルビュス作「地獄」より、その主人公の青年である。

「地獄」のプロットは至極簡単なものである。田舎からパリへ出てきた主人公の青年が借りた宿の隣室との隔壁の上方には覗き穴が空いており、そこから彼は隣室の情景を眺めるというものだ。

 同じような状況のあるドラマや漫画が連想されそうだが、それらに付随の主人公の内部の様々な葛藤や、或いは主人公の隣室状況への劇的な参加などはまずない。彼は去来する場面を眺めてはそれに欲望を刺激されながらも、ただその体験を浪費するだけである。これはさながら、覗き穴をパソコンかスマートフォンに置き換えてみれば現代人が如しと言えなくもない。

 ただ、彼はある決定的な部分において作中の時代の大衆及び現代の大衆とは異なる。それこそが彼を始原的な「アウトサイダー」たらしめ、かつ「アウトサイダー」の基本条件をウィルソンへ提示させる。それは「すべての女を欲する」「自らは何ものにも値しない。だが、なお救いを欲する」「あまりにも深く、遠くを見通す」という彼の言葉であり、それらを本人へ自覚させるに至った彼自身の欲求である。まず「アウトサイダー」とは欲求へ誰よりも正直な人間であり、かつ正直が故に、その欲求へ突き動かされはしながらも満たされぬそれをなんとか満たそうと苦闘する人間なのだ。そしてその苦闘こそが「アウトサイダーの問題」である

 現代の日本で生きる私はふと、この「アウトサイダー」の欲求の強さからある人物を連想する。漫画「デスノート」の主人公、夜神月である。名を書き込むと死に至るデスノートを使い、この世の「すべての犯罪者を裁く」という彼の意志には、なるほど確かに「すべての女を」と通ずる欲求があるかに見える。だが彼は「アウトサイダー」ではないことは明白である。作中初期のノートを手にするまでの段階で、その事実は判明している。彼はノートを手にするまで「すべての犯罪者を裁く」ために「深く、遠くを見通」してはいない。学生生活に退屈しきっているとはいえ、バルビュスの主人公のように「何ものにも値しない」とまで透徹してはいない。彼はノートによって自らに可能な殺戮範囲が拡大したために、そうしただけなのである。

 「地獄」の主人公にはそれはない。明らかに「すべての女を」手にできなくとも、彼は「欲する」のである。この点において夜神月は「アウトサイダー」ではないし、また現実の大衆もそうなのだ。彼らは自らができないと思った欲求へ突き動かされはしない。自らが「救い」を求めるに「値しない」ならば、すぐさま踵を翻し人生へ折り合いをつけ「深く、遠くを見通す」ことなどは決してないのである。

 さて、こうして記念すべきトップバッター「地獄」の主人公を概観したことによってウィルソンの「アウトサイダー」概念の骨子となる部分を再定義することができた。ウィルソンはここから処女作「アウトサイダー」前半でウェルズ、キルケゴール、サルトル、カミュ、ヘッセ、ヘミングウェイ、ゴッホ、ニジンスキー、アラビアのロレンスを、後半でニーチェ、ドストエフスキー、ウィリアム・ブレイク、ジョージ・フォックス、ラーマクリシュナ、グルジエフといった豪華絢爛たるメンバーをそれぞれの著作内の登場人物や本人を通して論じるのだが、その道程を律儀に踏破する必要はない。私が行いたいのはウィルソンの道を中途まで近道として利用することであって、彼の一歩一歩を証明することではない。


運営補足1:コリン・ウィルソン
(Colin Wilson、 1931年6月26日 - 2013年12月5日)は、イギリスの小説家、評論家。「オカルト」ブームの発端の一人である。


運営補足2:オプティミズム
ラテン語optimus(〈最善〉)に由来する語。〈楽天観〉〈楽天主義〉〈楽観主義〉などと訳され,ペシミズムに対する。世界や人生の善なることを確信し,それを肯定する立場。


運営補足3:カラマーゾフの兄弟
『カラマーゾフの兄弟』(カラマーゾフのきょうだい、露: Братья Карамазовы)は、フョードル・ドストエフスキーの最後の長編小説。1879年に文芸雑誌『ロシア報知(英語版)』(露: Русскій Вѣстникъ)に連載が開始され、翌1880年に単行本として出版された。『罪と罰』と並ぶドストエフスキーの最高傑作とされ、『白痴』、『悪霊』、『未成年』と併せ後期五大作品と呼ばれる。


運営補足4:地獄
もし、売春宿で、隣の部屋が覗けたら、どのような光景が目に入ってくるだろうか。これがこの作品の内容の全てである。
著者は、ジャーナリスト出身の作家であり、客観的な描写方法が使われている。約十組にわたるこの宿の客が登場人物であり、それをのぞき見する人物が主人公である。主人公は、観客の立場を最後まで押し通し、何の感想も述べない。宿の客は、不倫、同性愛、セクハラ、その他、諸々であり、最後まで興味を失うことなく、読み通せるだろう。そして、最後に気付くことになる。なぜ、この作品の書名が「地獄」なのかに。



運営補足5:デスノート
『DEATH NOTE』(デスノート)は、原作 - 大場つぐみ・作画 - 小畑健による日本の少年漫画作品。2003年12月から2006年5月まで『週刊少年ジャンプ』(2004年1号 - 2006年24号)に連載。名前を書いた人間を死なせることができるという死神のノート「デスノート」を使って犯罪者を抹殺し、理想の世界を作り上げようとする夜神月と、世界一の名探偵・Lたちによる頭脳戦を描く。



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